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結節性硬化症のひろば 結節性硬化症と診断された方とご家族の方へ

患者さんと家族の体験談

体験談 Vol. 2

「周りの方に助けていただいて、ここまできました」

プールでバタ足で泳ぐ子供のイラスト
  • Tさん/生後10ヵ月に診断され、現在31歳(2012年11月時点)
  • インタビューに応じてくださったのは、母Kさん
プールでバタ足で泳ぐ子供のイラスト
◆診断されたのは生後10ヵ月で、熱、発疹、てんかん発作がきっかけでした

結節性硬化症と診断されたのは、生後10ヵ月です。
熱、発疹、てんかん発作がおきて小児病院に入院し、CT検査をおこない結節性硬化症と診断されました。振り返ると、生後6ヵ月ぐらいに歯を食いしばるような動作をすることが何度もあったので、あれはてんかん発作だったかもしれません。

◆突然、てんかん発作がコントロールできるようになりました

1歳を過ぎたころから、点頭てんかんがだんだんひどくなっていき、2、3歳の頃が一番発作がひどく、1日に20数回以上も発作がおきていました。今よりも使用できる薬剤の種類は少なかったのですが、当時のできる限りの治療は試してみました。しかし、なかなか発作のコントロールは難しい状況でした。5歳の時に、障がい児を対象とした水泳教室に行きはじめ、その翌月からぱったり発作がなくなりました。水泳が影響しているのかどうかはいまだに分かりませんが、その後も発作は起こらず27年間発作が起こっていません。

◆定期的な通院と服薬は大切だと実感しました

診断されてから今まで、定期的に病院に通って抗てんかん薬の服用を続けています。

顔のぼつぼつ(顔の血管線維腫)も2歳ごろから今も出ていますが、今は治療をしていません。以前、主治医から紹介してもらった皮膚科で治療を受けましたが、治療の痛みや処置後の手当が大変でした。幸い、男の子ですし、顔の症状は本人もそれほど気にしていない様子です。

つい先日、27年ぶりにてんかん発作がおこりました。調べてみると、その日の朝の服薬と前の晩の服薬も忘れてしまっていたようでした。これまでは家族の誰かしらが服薬したかどうかを確認していたのですが、確認が漏れてしまったのですね。何年も発作がおきていなくても、薬を飲み忘れると発作が再発してしまうことが分かりました。やはり服薬を続けていくことは大切だと分かりました。

◆学校生活は学校の先生やお友達、近所の方に支えられてきました

小学校に入る頃まで親は心配ばかりしていたのですが、「自分しか息子を守れない」、そう思い、割り切って考えるようにしました。小学校では他に特別支援学級の生徒がいなかったこともあり、普通学級で6年間を過ごしました。担任の先生のほか養護の先生にも発達や薬のことを詳しくお話しし、昼に服薬する分の薬も保健室で預かってもらっていました。こちらからお願いするばかりではなく、皆が敬遠することの多いPTAの役員を引き受けたりもしました。

中学校では特別支援学級に在籍していましたが、1人学級でしたので、ほとんど普通学級で過ごしました。高校は都立高校の夜間部に通いました。

当時、学校や日常生活のことは、通院していた病院の臨床心理士の先生に相談することが多かったのですが、学校の先生やお友達、近所の方など周りの方に多くのサポートをしていただきました。卓球部の試合のときにも部長が迎えに来てくれたり、高校受験の時にもお友達が一緒に行ってくれたりしました。話しても分かってもらえない人はいますが、理解のある人はいるし、誰かしら助けてくれる人はいると思います。まずはこちらから勇気を出して話をしてみることがよかったように思えます。

◆今は楽しく働いています

高校を卒業後の進路について考え始めたとき、障がいのある方の就職を支援する就労支援センターがあることを知りました。特別支援学校に在籍していると、親の会があり、そこで情報を集めることができるようなのですが、息子は、都立高校に在籍していたためまったく情報が入って来ず、親自身で役所に問い合わせて調べなければなりませんでした。調べていくと、小学校と高校が特別支援学校ではなかったことで障がい者の枠から外されてしまっていたことが分かり、就労支援センターに行くためには福祉作業所での実習を経なければなりませんでした。福祉作業所への移動のときにも近所のお姉さんが付き添ってくれました。

3ヵ月間のトライアル雇用を経て採用となり、現在はアパレルの会社で楽しく働いています。「残業してほしい」と言われると、役に立っていることが嬉しくて仕方がないようです。息子は「努力する」という才能をもって生まれてきたのだと思っています。

結節性硬化症のことを知っている方はあまりいないため、職場の方には、病気のことよりも知的な面での遅れを理解してもらうようにしています。また、上司が代わるたびに、親が病院でもらった発達検査の結果を見せてお話しするようにしています。

知能テストでは8.7歳と診断されましたが、社会性はけっこう身についていると思います。これは小学校と高校を普通学級に通ったことが役に立っているように感じています。

◆転院先を探すのが今の悩みです

今はジムに通っているのですが、おかげで体幹がしっかりしてきました。32歳ですが今でも小児病院に通っています。そろそろ転院しなければならないのですが、転院先がみつかるかどうか、転院の手続きがうまくできるかということが今の悩みです。

◆次子を産むときに考えたこと

次子を産むときに、「もし、また結節性硬化症の子どもが産まれたら育てられるだろうか?」と不安に思い、産むかどうか悩みました。当時、病院の臨床心理士の方に話を聞いていただき、「お母さん、大丈夫。ここまで育てたのだから、同じ病気の子どもだったとしてもまた育てられますよ」と言って背中を押してもらいました。次子は、男の子で結節性硬化症ではありませんでした。

幼い頃から弟も一緒に、兄の通院に連れて行ったので、自然と兄の病気のことを知りました。弟は「僕自身もいろいろな経験をさせてもらいました。お兄ちゃんがお兄ちゃんでよかった」と言ってくれています。きょうだいの存在は大きいですね。今でも家族で旅行に行きますし、息子がいなかったらここまで家族がまとまっていなかったかもしれません。

◆親も大事なことをたくさん経験できました

私自身は、健常児を育てるだけでは味わえない大事なことをたくさん経験できてよかったと思っています。そうはいっても、つらいときや苦しいときはありました。ただ、息子が病気になったのは誰のせいでもなく、自分を責めても仕方がないことです。息子を通してさまざまな方にも出会い、いつの間にか私自身の性格も前向きに変わりました。

本人には、できること、やりたいことは何でもさせたいと思っています。自転車に乗りたいなら自転車にも乗っていいと言います。「自転車に乗っているときに発作がおきて事故にあったらどうしよう?」と頭をよぎることもありますが、「誰でも道を歩いていたら車にぶつかる危険があるのと同じ」と考えるようにしています。

息子が成長して手がかからなくなってきたので、これからはこれまでの経験を活かして、診断されたばかりの小さいお子さんをもつお母さんたちのお役に立てればと考えています。

※症状や効果のあるお薬などは個人差があります。ここに記載されている治療や日常生活は、医療上のアドバイスや指示を与える意図をもって提供されるものではありません。必ず主治医と相談の上、治療をおこなってください。